この仏像は光背が欠失しているが、台座まで完全な統一新羅時代9世紀頃の金銅如来立像である。
1948年、慶尚南道宣寧郡嘉礼面甲乙里所在の菩提寺址で出土したものである。高さ8cmの八角蓮華台座の上に正面直立し、相好は半開きした目を線刻で簡略に表現し、額には白毫の跡が残っている。
頭は本来螺髪だが、明確でなく素髪のように見え、肉髻は大きく高く隆起している。首は短く、三道は明確でなく、両手は若干損傷して手印が確かでないが、施無畏・与願印とみられる。
身部は通肩の法衣を纏い、腹部から脚の下まで6段の滑らかな半円形のシワがあり、僧脚崎には帯の結び目が線刻されている。
蓮華台座は仏身に比べて比較的高いほうで、上・中・下の3部分で構成され、下台には8面に大きな眼象が透かし彫りされている。
統一新羅時代の典型様式だが、中台は高い円筒状で、仰蓮と覆蓮が非常に簡略に表現されている。統一新羅時代の八角蓮華台座の典型とは若干異なる。
頭を若干下げて瞑想にふけったような滑らかで静かな表情、身体各部分の均衡や流麗な衣文などは統一新羅時代の仏像の様式をよく示している重要な資料である。