この屏風は朝鮮王朝24代憲宗が1843年に孝顕王后(安東金氏の金祖根の娘)が病気で死ぬと、翌年である1844年(憲宗10年)に明憲王后(洪在龍の娘)を継妃に迎えて昌徳宮の仁政殿で婚礼を行う様子を描写した作品である。
図画署の画員が絹地に唐彩で描いた8幅屏風で、このような嘉礼図屏風は朝鮮後期の宮中婚礼の様子を知ることができる貴重な資料で、昌徳宮所蔵の巻き物形式の嘉礼班次図券を除いて、宮中の婚礼式の様子を描いた作品としては現存する唯一の資料である。
屏風の第1幅には芸文提学の趙秉亀が書いた賀礼教文が行書体で書かれており、第8幅には宣伝官26人の官職と氏名を席次順に記した「宣伝官庁座目」が書かれている。第2・3・6・7幅の4枚の幅には昌徳宮の後方の山と樹木の間にいくつかの殿閣が山水画と共に描かれ、儀式の光景は第5幅の仁政殿を中心にして左右に第4・6幅にまで及んでいる。
玉座の周辺をはじめとして、檀上に嘉礼を執り行う侍官と壇の下で賀礼する文武百官、その周囲に儀仗を持つ示威軍士など合計3百人余りを超える人物を華やかで細かい筆致で描いた。
宮中の儀式を描いた儀軌図は、たいてい図式的に描かれたが、この絵は比較的に絵画的な表現に忠実な一面がうかがえる。
宣伝官庁座目からしてこの作品は宮中で保管したものではなく、宣伝官庁の官員が嘉礼に参加したのを記念して、画員の手を借りて別本として作ったものと推定される。