この絵は横に7枚つないで作った麻生地に朱を全面に塗った後、白い顔料と黄土で各像の輪郭と模様など細部を描いた仏画である。中央上端の本尊仏は外形上、下品中生印を結んでいて阿弥陀仏と見ることができるが、下端の画記に霊山会の記録が残っている点から推測して霊蹙山で説法する霊山会上中の釈迦牟尼仏と考えられる。
画面構成は中央の釈迦如来が宝壇の上で結跏趺坐を組み、その左右に同数で10体の菩薩と十大弟子、そして四天王が配置されている。描法は白い顔料と黄土で各像の輪郭と模様など細部を表現したが、各尊像の身体部は黄土を薄く塗り、輪郭は墨線で描き、髪の毛は群青を、眉毛には緑青を使った。
この仏画は16世紀の線描仏画がすべて金線を使っているのに対して白色または黄土を使っており、画記も墨で、それも乱筆で非常に形式的に書いている。しかし、1565年という絶対年度を有しており、国内にある朝鮮前期の仏画がわずか3、4点(指定は1点)に過ぎず、その中でも規模が最も大きいという点で価値が高いといえる。
また、この絵は白色と黄土扇による現存最古の作品であり、宮廷関連人物の発願によって製作された絵とはまた別の画風が見られるという点で当時の仏画画風の多様性を察するのにとても良い資料と考えられる。